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zoom RSS やっと藤田嗣治展に行く

<<   作成日時 : 2018/09/12 22:23   >>

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水曜日は高齢者DAY。
BUNでございます。

クーラーがお逝きなさってからも
とんでもなく暑い日が続いたと思ったら
今度は急に寒くなって身体が付いていけません。

更に新たな治療が始まって薬も増えて
ついでだとまた新しく病院を増やして
どっと溜まっていた疲れが全て痛みになって
しばらく更新出来ませんでした。

昨日行こうと思ったもののやはりダメ。
今日こそ!!と前傾姿勢で電車に乗ったものの、、、

しかし上野駅から出た途端に物凄い
老人の数でして、全員の年を足して遡ったら
地球誕生まで至るのではないかと、
思うほどお爺ちゃん、お婆ちゃん祭り。

杖率も非常に高いがあたしなどは若い方。
カントリーブーツにデニム腰履きして、
ウォバッシュのシャツにホースハイドのバッグ。
だがしかし髪の毛の色は周りの皆様と同程度(笑)

藤田嗣治展はツイッターで
混雑情報掲載して無いんだけど。
毎週ではないにしても水曜日の今日
行ったのはうかつでした。

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それにしても、行きたい行きたいと願いながら
7月に始まっているのに、ようやく、
やっと観に行けました。

たくさんの絵が年代順に並べてあるのですが
なにしろ東京都美術館の中のご老人全員の
年齢を足して遡ったら宇宙の起源に迫りそうなので

見たかった絵を三枚だけ
決めて早打ちしました。

まずは生涯愛した猫

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おそらくこの人は女性の可愛らしさや
いわゆるツンデレを猫に表していたのでは。

あたしはこの人の生き方に
なんというか、畏れ多いけれど
とても身近に感じるのです。

ターナーもモネもルーベンスも
フェルメールも好きですが

日本人として、日本生まれ、ですね
その画家としてはこの藤田嗣治が最も好きなのです。

日本画を学び、北斎を愛した藤田は
その日本画をベースにどんどんそれを
昇華させてゆくのです。

あくまで女性を見る目は優しく
あたたかく、そして寂しく

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美しいです。
フェルメールの真珠の耳飾りの女性、より
あたしはこちらの方が好きです。

フランス、パリで認められた才能は
第二のジャポニズムと呼ばれて、
しかし、第一次大戦が終わり。

そして時代は大東亜戦争に入る。

帰国した藤田は絵を描き続ける為に
軍の絵を描くようになる。

まるで見て来たように、
一枚の絵に戦争を描き切った

アッツ島玉砕

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さっきの猫や女性を描いた
優しく線の細いタッチは全く消えて、
この絵が飾られた時、この絵を観た日本人はみな
跪き、手を合わせ、賽銭まで置いた。

あたしも本物を間近で観て
泣けて泣けて、、、。

藤田の絵からは少し離れますが、、、

このアッツ島玉砕があって、その後の
キスカ島の奇跡の撤退が出来たのはこの
アッツ島の英霊のおかげかもしれないと。
当時の米軍がレーダーに映るも見えない艦隊に
攻撃をしかけ同士討ちまでしたこのストーリー。
晴れぬ霧が一瞬だけ晴れたのはこのアッツ島の
皆さんのおかげかもしれないとあたしは思います。

アリューシャン列島はこの後最後に
占守島の戦い、戦車第十一連隊、士魂部隊が
終戦後に攻めて来たロシア軍と戦い
戦いに勝っていたのに終戦後だからと武装解除、
そしてシベリアに送られます。

この占守島の戦いは浅田次郎も
「終わらざる夏」で書いていますが
話の本筋と内容はほぼ史実です。

決して学校で習わない大切なこの国の歴史です。
そして未だに解決しない北方領土の問題に繋がります。

拡大してみて下さい。
平べったいヘルメットは米軍です。
日本軍の着剣した三八式小銃に軍刀。
その鬼気迫る表情。

戦争は恐ろしいからやってはいけない、
そこで思考停止している人々に見せたい。
なぜ戦争は起こるのか、起こったのか。

クラウゼウィッツは
戦争は究極の外交手法だと
自著の戦争論の中に書いています。

人は殴りかかられたら
黙って殴られていられません。

終戦のラジオの内容は
忍び難きを忍びの一節しか知らない。
あの全文を一度は読んでほしい。
そして、開戦の詔勅の全文も
読んでみてほしい。

ケンカでもしたくなくても巻き込まれる事がある。
守るべきものがあればこそ。
あまり政治的な事は書きたく無いけどね。
そこはあたしはあたし、色んな考えがあって良い。

結局、戦後に藤田は
絵描きの仲間に言われるわけです
「戦争画を描いて人々を鼓舞した罪を
おまえが一人で背負ってくれないか」と。

それは藤田がフランスで成功し
それを日本画壇が嫉妬し決して認めなかったのに
それを一人で罪を背負えとはあまりに酷い。

そして藤田はまたフランスに渡り、
そのままフランスに帰化し、
二度と日本に戻る事はありませんでした。

しかし、藤田自身は

「私はフランスに、
どこまでも日本人として完成すべく努力したい。
私は世界に日本人として生きたいと願う。
それはまた、世界人として
日本に生きることにもなるだろうと思う」と。

どんどん変わる画風。
これだけの引き出し、アイデアを
どこから引き出したのか。

こういうタッチも

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現在のアニメに与えた影響は
少なくないものだと言われています。
どこか虚ろなのに美しい。

若い頃の画風が拙いのではなく、
晩年の作品が最高なのでもなく、
どの絵を見ても藤田嗣治であるし
どの絵を見てもやはり良いなぁと
思える画家は少ない。

あたしが好きな藤田はベビーパウダーを用いて描いた
美しく白い裸婦像ではなく、その内に秘めた
日本人としての表現を追う魂です。

音楽でもあたしはもっともっと
たくさんの色んな曲を書きたい。

そして最後に、
自らの墓を彼は自分でデザインするのです。

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この絵で終わり。

全てを自らの絵に向けた人生でした。
一瞬も立ち止まらずに自らの表現を
追求し続けた人生でした。

こんなに泣ける絵画展はありません。
今日は駆け足で観てしまいましたが
まだ10月までありますから、
同じ展を何度も観る記録更新しそうです。

願わくばあたしも、、、と

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登る山は違えど、
あたしはこの人の背中を
音楽で追いたいな、と
思いました。

そして、あたしがこの世界に生きた
確かな証拠を、あたしの作品として
誰かの心の中にでも残したいです。

それがあたしのとてもシンプルな
願いであり、思いでもあるのです。

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